緒方浩一
身長181センチ、体重93キロ、生年月日1976年6月(50歳)
保有資格
公認会計士(第31846号)
税理士(第127503号)
登録政治資金監査人(第4748号)
東京都町田市生まれ
その後、親の仕事の関係で3歳から茨城県阿見町、土浦市で育ちました。
両親のルーツは九州です。現在でも本籍は熊本県です。
但し九州は帰省や墓参り、法事で帰るだけであり、自分の中でのアイデンティティは茨城県にあります!
土浦市立土浦第四中学校卒
阿見中学から途中で転校し、土浦四中を卒業しました。
部活は陸上部で、茨城県南大会走り幅跳び優勝、県大会走り幅跳び3位、県大会3種競技3位でした。
県の強化選手に選ばれ全県から選ばれた強化選手による合宿や他県への遠征に行きました。
当時は標準記録以上しか関東大会へは行けなかったのですが、今は県で3位ならば行けるようです。
記録は幅跳び6m17㎝、100mは12秒4、200m24秒2でした。
茨城県立土浦第一高等学校卒
部活の疲れ、深夜ラジオ(コサキン、深夜の馬鹿力、STILL LIFE、パワーロックトゥデイ等)にはまり、
理系クラスにいましたが、勉強をせずでさっぱり低空飛行でした。
その中でも地理が得意、物理がダメということで3年の夏に文転し、結果として1浪になりました。
高校のクラスメートが皆現役で良いところに進学したため、非常に取り残された感があり焦ったことについては
たまに夢で見ることがあります。
当時の我が高校は非常に優秀な人材が多く、学年全体では東大に30名以上進学しました(諏訪宇宙飛行士も
同級生です)。
部活は陸上部でしたが練習をまじめにやっていなかったので記録は中学時代からわずかしか伸びず、
走り幅跳び県大会10位に終わりました。記録は100m11秒4、200m22秒4、幅跳び6m30cmでした。
高校卒業以来現在まで3年時クラス会が欠かさず行われているのが誇りです。
慶應義塾大学商学部卒
大学では体育会には所属せず、常磐学生会(地域会)に所属していました。1年の時一瞬だけ経営会計研究会に
所属しましたが、簿記3級を目指すこともせずでした。商学部でしたが司法試験を受けておりました。
短答は合格しましたが論文に合格できず、ロースクール制度に切り替わるときに、同じく試験制度が変更となる
会計士試験に切り替えました。司法試験受験時は、人生に迷走しており勉強をきちんとしていなかったと
いうのが実態です。
大学1,2年は日吉に下宿、3,4年は片道2時間を土浦から三田へ通いました。
そのまま大学卒業後も受験を続けることになり、この間に父親を病気で亡くすということもあり、人生観も変わり、
このままでは人生が終わると感じました。
結局20代を無駄に過ごしてしまったため、少しでもそれを取り戻すべく現在活動的に動いております。
大原簿記学校
公認会計士受験のため、朝から晩まで大原の自習室で勉強しました。初めて勉強法というものが分かりました。
要するに点を伸ばすためには出来ない問題が出来るようになればよいというだけです。
そのために間違える問題ばかりを解いて、たまに備忘として出来る問題も解くというかんじでやっていました。
1回目の受験で短答式試験(100点満点中79点、合格ラインは67点)に合格し、2回目の受験で最終合格しました。
中堅規模の税理士法人(総勢20名弱)
監査法人就職活動については過去の無職時期の長さと、試験での手ごたえの無さから旅に出てしまい就職活動に
出遅れたこと、世間知らずの部分もあり色々迷惑をかけたこと(祖父の関係で某電力の当時の会長やその後
大手監査法人のトップになる方、会計士三田会の当時の青木会長、会計士協会の重鎮などにお世話になりました)
もあります。そのため、最終的には大手監査法人への就職には失敗しました。
その話を聞きたい方は個別に聞いてください。
当時は特に準大手や中小監査法人に行きたいという希望もなかったのと(後から考えれば準大手を考えるべき
でした)、会計士試験合格時に30歳を超えていたので、合格後は叔父が軽々している中堅規模の税理士法人(福岡
が主体の事務所の東京事務所)に就職しました。
税務については法人税務や個人確定申告など一通り経験しましたが、個人の確定申告についての経験がやや
薄かったのと、相続税をやっていなかったのが独立時においては弱みでした(最終的には独立後に相当数やることに
なり、個人の確定申告や相続税は今仕事のメインであります)。
税理士法人時代の大きな仕事としては、主に売上数百万~数億円の中小企業の税務に携わっておりましたが、
売上1000億円程の企業にも携わりました。民事再生案件の再生計画認可決定の確定日から3年を経ての終結、
生産性向上投資促進税制B類型の事前確認などが印象に残っております。
会計士としての情報が少ない、大手監査法人と違い縦横のつながりが出来ないことへの危機感から、準会員会
含め会計士協会東京会や会計士三田会などの会務活動に積極的に参加するようにして情報収集や会計士人脈を
形成することにしました(結果としてこれは大正解だったと思います)。
小規模監査法人
税理士法人勤務と並行して、グループ内の小規模監査法人にも所属をし、法定監査、任意監査(証券化案件、
金融機関からの依頼、税理士法人からの依頼)、連結チェック、M&Aにおける財務デューデリジェンスなど
行っておりました。
第三セクターの空港運営会社、発電所、遊技業、特定目的会社などの監査を経験しましたが、最大で会社法までの
監査経験のみ(上場会社の監査経験無し)なのが弱みと言えば弱みです。
緒方公認会計士・税理士事務所設立
なんだかんだと独立してから人のつながりによって生かされているのを実感しております。
その御恩は忘れずにきちんとお返しすることを心掛けております(会務活動含め)。
自己の事務所以外に、かつての川北博元会計士協会長の事務所由来の公認会計士事務所で監査のお手伝いもして
おります(省庁系特殊法人、大手企業労働組合、学校法人、公益法人、製造業)。
支部の森下先生(現東京税理士会常務理事)の事務所も短期間お手伝いをし、また森下先生を通じて紹介して
いただいた近所の内海税理士の事務所からその後一部仕事を引き継いだりもしました。
また、現在は社会福祉法人、公益法人にも関わったりしております。独立当時は公益系など実務に触れたこともなく
考えもつきませんでしたが、ともかく必死の勉強と横のつながりなどを駆使して何とか出来ております。
下記の通り皆無活動も全ての役職が重くなってきており多重会務者になっておりますが、
平日深夜まで、土日関係なく基本的にはずっと仕事仕事で動き回っております。
日々更新される新しい情報、多くのクライアントからの質問や未経験の業務への対応等、受験時代を
含めても今が一番勉強しているのではないかと思います。
各種会務の役職等の履歴は会務活動についてを参照。
日本公認会計士協会東京会(文京会)…文京会長(現職)
日本公認会計士政治連盟(政治連盟東京会)…前関係団体対策局長
日本公認会計士協会 税務業務部会 会員
東京税理士会(小石川支部)…前小石川支部厚生部長(4期)
東京税理士政治連盟(小石川税理士政治連盟)…小石川税理士政治連盟幹事長(現職)
相撲観戦:椅子席などを購入し、両国場所はだいたい見に行っています(1月5月9月)。また、初日前日に行われる
土俵祭、1年に1回公開される横審稽古総見もよく観に行きます。
寺社仏閣:旅行に行った場所で著名な寺社仏閣を巡るのが好きです。その地域の歴史、伝統の集積であり、
またご朱印を頂戴するときの触れ合いが好きです
平成20年から開始し、現在、400か所を超えて巡っております。
四国お遍路は現在22か所(すべて愛媛県)
野球:体力増進、痩せるために野球をしています。税理士会小石川支部野球チーム、会計士協会東京会の
中小独立チームに所属しております。左利きゆえ、守備はピッチャー、ファースト、外野となります。
一時期は友人と文京区軟式野球連盟2部に登録するチームをやっていましたが人数が集まらず休部しました。
旅行:ご朱印めぐりと連動しますが、出張の合間に旅行をするのが好きです。行く場所を決めたら現地で観光マップを
片手にレンタサイクル等でしらみつぶしに見て回ります。
人生の本舞台は常に将来に在り(尾崎咢堂)
整理整頓好き
汗をかく、地味な作業をこつこつと
与えられた役割はきちんとこなす
人と関わることが好き
人前に出るのはあまり得意ではない(前に出る人を裏で支える側が得意)
楽天的
ざっくばらん
左利きというのもあるのか、論理的というよりやや直感的
慶応ボーイには見られない